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つぐ太のブログ

Your sugar. Yes, please.

不屈館3周年講演会2日目。

今日は、不屈館に行ってきました。とても参考になるお話を聞けて嬉しかった。

まだ記事としては整理していないメモをここに書いておきます。

 

 

辺野古に生きる亀次郎の精神」──沖縄タイムス北部報道部長 阿部岳さんの講演

 沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現を目指した沖縄の民衆の戦いを後世に伝えようと設立された那覇市若狭にある資料館「不屈館」の開館3周年の記念講演会が3日連続で開催され、2日にカメラマンの石川文洋氏、3日に沖縄タイムス北部報道部長の阿部岳氏、それぞれ講演を行い、不屈館の館内を埋め尽くす人々が参加しました。明日4日に琉球新報編集局次長兼報道本部長の松本剛氏が講演します。

【阿部岳さんのプロフィール】

 阿部岳氏は、「辺野古に生きる亀次郎の精神」と題して講演。阿部氏は1974年、東京都生まれ、97年に沖縄タイムスに入社し、政経部県政担当、社会部基地担当、同フリーキャップなどを経て2015年から北部報道部長として辺野古の現場に関わり続けています。

【阿部岳さんのお話(要旨)】

2004年、辺野古でボーリング調査が行われようとしたとき辺野古のたたかいは、辺野古のリーフに建てられた金網で囲われたやぐらの上で24時間の座り込みという異常自体。やぐらの上で睡眠も取りながら一晩を過ごし取材を敢行した。その記事を見た当時の防衛事務次官、官僚のトップであった西氏によって沖縄タイムスは当時の防衛施設庁の記者会見など取材の場から排除された。

 

弾圧と抵抗と友と

 

現場のたたかいについて「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」という瀬長亀次郎氏の言葉がある。辺野古への新基地建設に対する安倍政権の弾圧は、戦後最大の弾圧であり、だからこそ最大の抵抗があり、そして最大の広がりがある。

 

弾圧

 

─選挙結果を汲むことなく基地建設を強行する政権が、県警だけでなく警視庁から機動隊を派遣した。県警が警視庁を指示する建前だが、現場では警視庁の機動隊に対しては敬語でお願いをするように指揮している。松田琉球処分官は、軍隊と警察官を連れてきたが、その姿を思わせるようなことを、県民もそれを想起すると分かっていて構わずにやってきていることに政府の意思を感じる。

─海の上では海上に出ている船長も含めて目が届きにくく、目の届かないところで暴力的な行為が行われている。豊里氏が撮影した海上で抗議した人が、海上保安に首をしめられている写真が撮影できたのも、そこに豊里氏がいたからであり、私は他の船に乗船していたために気づかなかった。

─抗議船に乗船した人が撮影した動画では海上保安官が拘束した人に対して、「つばをはくなと何度言ったら分かるんだ」と声を張り上げ罵声をあびせている様子が映し出されている。実際にはつばを吐いているわけではなく、海上保安官によって顔を海中に沈められ海水を飲んだために吐き出している姿だった。

─今海上保安官は抗議する人たちのカメラを狙って撮影を止めようとしてくる。少しでもマスコミの人間がいることで海上保安庁や警察の暴力的行為がなくなればよいと思う。

 

抵抗

 

─抗議行動は、思い思いに様々な人が参加しており、「突っ込むのは簡単で、(日常的な指揮系統のある)組織でもないのに、引くべき時には「引こう」という現場のリーダーたちの指示によって混乱なく収まっていることは凄いことだ。今日、この講演会に参加している統一連代表幹事の中村守さんもその一人。1954年に沖縄刑務所の暴動で、その暴動の受刑者たちのリーダーであったわけでもない瀬長亀次郎氏が事態を収拾したことに通じるのではないか。

─右翼の民族派と称する人々が座り込みの前を200人でパレードしたことがあったが、民族派と言いながらアメリカの星条旗を掲げる異様な姿だった。そのときに市民はカチャーシーを踊って迎えた。「さあ、邪魔してやるぞ」とやってきた民族派の人々が「がくっと落ち込んだ」のが見てとれた。右翼の人々のほうから「まじめにやれ」と声が飛んだ。右翼の人びとは気勢をそがれて争いにはならなかった。ここには文化の持つ力と戦後続いてきた闘争の知恵があると思う。

 

 

─県内外から続々とゲート前に連日述べ100人以上が参加し、海上行動にも「辺野古へカヌーを贈る会」などの支援があり、抵抗が呼ぶ「友」が広がっている。

─「小異は捨てちゃいかん。人それぞれに主張がある。小異を残して大同につくんだ」という言葉を何度も瀬長さんに言われたという話を社大党の元委員長の仲本安一さんからうれしそうに語られた。

─まさに今島ぐるみ会議やオール沖縄会議などで、翁長雄志知事が腹6分というように団結をしている。B52反対のたたかいや、瀬長市長追放がきっかけとなって民連ができたことなど、県民の歴史的なたたかいが、より大きな形でできているのではないか。

辺野古基金や沖縄県名護市へのふるさと納税が増加している。瀬長亀次郎那覇市長時代に米軍が補助金を打ち切り、市民が納税のために行列をつくって並び、支える人びとの覚悟があった。そのことに重なるのではないか。

 

辺野古が語るもの

 

─また辺野古新基地反対のたたかいが民主主義の実践。仲井真弘多前知事に2010年の選挙で辺野古移設反対を言わせたのも民意であり、その公約を破ったから辞めさせるというのも民意で、まさに教科書に書いてある民主主義の実践だと感動した。

─「投票した以上、支える責任がある」とゲート前に座り込みに参加する35歳の女性がいる。

─全国紙の記者からも「なぜ翁長知事はつら抜いているのか」と問われ、「政治家として公約を守ることを大事にしているからではないか」と答えたら、「全国では、公約を守る政治家がいないから、翁長氏が奇異に見られるのだね」と言われた。

地方自治の危機と言える状況がある。名護市の頭越しに辺野古、豊原区に補助金がすでに支払われている。翁長知事は、「日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのか、国民に問いかけたい」と訴える。

─沖縄のたたかいには本土の人びとの力が必要。本土の人びとも自分の身を守るためには沖縄の危機を食い止めなければならない。そうしなければ必ず本土も沖縄と同じ状況になる。その実例が県道104号越え実弾演習訓練移転。これを移転する際、移転先で防衛省は最初は低姿勢だった。訓練が行われるたびに記者会見し、説明会を繰り返した。沖縄では米兵は自由に基地から出入りしているが、本土では米軍兵士が外に出るときには防衛局職員がついていく。しかし、大分でも最近は住民説明会をやらなくなってきている。米兵の監視も人権問題などを建前にいずれやめるだろう。

オスプレイ高知県での飛行も最初は丁寧に説明したが、以降は日常訓練だからと説明しなくなった。防衛局は、住民への配慮を手厚くしたいからやっているわけではなく、対策上でやっている。既成事実化が進めば沖縄と同じように当たり前になっていく。

─安保法制の核心は米軍の下に自衛隊が入ることだと思っているが、これを先取りすることが沖縄では行われてきた。これまでは沖縄でやっていることと、本土でやっていることの二重基準があったが、沖縄で行われている悪い方に統一されていくのではないか。

─秘密保護法もできた。復帰前の沖縄では基地内を撮影することは禁止されていた。マスコミの先輩たちは基地の前で赤ちゃんを抱っこするふりをしてカメラを隠して撮影したりB52を高速で走り去る車の中から撮影したりした。

─2004年にはキャンプ・ハンセンのなかでグリーンベレーが使用する都市型訓練施設が建設され住宅から300メートルしか離れていないことがわかり、金武町の伊芸区では区をあげて反対し、やぐらを建てて訓練施設を監視した。内閣官房担当に記者に意見を聞いたら、これも秘密保護法の規制の対象となりうるものだろうという。全国にこうした規制が広がっていく。

─翁長知事が「発信」に力を入れるのは、世論の力が必要だから。世論の力によって国もアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりする。集中協議期間を設けたのもその表れだろう。

 

最後に

 

─翁長知事は知事当選後から瀬長亀次郎氏の話を出すことが多いと聞く。翁長知事は「たった1年の瀬長市長が深い印象を残した。政治家は何をつくったかではなく、住民のために何をしたか、だ」と近い人に語っている。その人は、「抵抗のシンボルにならないといけないという覚悟を感じた」と語った。

─偶像化してしまうことは避けなければならないが、翁長さんが果たしているような役や、現地のリーダーなど一人で何役もこなした方なんだろうと想像している。不屈館の名前は「瀬長亀次郎資料館」としてもよかったのに、民衆の資料館としているところに感動している。

─翁長知事1人ではなく、現場に行く方、地域で活動する人、一人一人できることをやるということが、ここから、また歴史から学ぶことだし、実際に止められる力になるのだろうと思っている。

─最近「反対派」という言葉を使うことをタイムスではやめ。冷たい響きもあるし、色をつける響きもあるから、「市民」という言葉に変えた。

─毎日辺野古ドキュメントを誌上でやっている。600日やり続けている。2004年のときに、「辺野古で起こっているひどいことを2、3行でいいから毎日載せて欲しい」と言われたことがあった。当時、「それはなかなか難しいです」と言ってしまったことを覚えている。今、民意の広がりを感じているからこそ、大きなことがなくても載せていくようにしている。それが当然になっている。

─タイムスや新報が県民を洗脳しているという人たちがいるが、そんな洗脳されるような人びとではない。新聞は県民の声でできているから、突き動かされている。

─1950年代、タイムスも新報も弱腰だった時期があった。宮森小の墜落事件も「パイロットは配慮してくらたらいいのではないか」というぐらいの記事だった。瀬長市長追放2年後、言論の自由もなく、新報は米軍の準機関紙、タイムスも米軍のお情けで輪転機を調達し発行している状況で、米軍にものを言える時代ではなかった。絶対権力者のもとでなかなかものが言えない時期。県民の運動が広がり、そうなるとだんだん民意の後を追うようになってだんだんと米軍にものを言う論調になった。